
即位後直ち(402年3月)に倭国と国交を結び、先王の第3子の未斯欣を人質として送った。しかしこの後405年には明活城(慶州市普門里)に攻め入られ、退却しようとする倭軍を実聖尼師今自ら騎兵を率いて独山(慶州市)の南で撃破した。407年3月、6月にも倭の侵入を受けており、408年2月には倭人が対馬で軍備を整え新羅に攻め入ろうとしたことを聞きつけ、逆に出征して倭軍を討とうと考えたが、舒弗邯(1等官)の未斯品の諌めを聞いて出征は思いとどまった。415年8月には倭軍と風島(未詳)で戦って、倭軍を退けた。
この間、403年7月には百済からも侵入を受けており、412年には高句麗に対して先王の第2子の卜好を人質として送り込んだ[2]。『三国史記』45朴堤上列伝に拠れば、実聖尼師今はかつて奈勿尼師今によって人質として高句麗に送られたことを恨みに思っており、奈勿尼師今の子を殺すことで恨みを晴らそうとし、倭や高句麗からの人質要請に対して迷わずに未斯欣や卜好を送ったと伝えられている。
内政面では、413年に平壌州[3]に大橋を新設した。
(引用:Wikipedia)